「人間そっくり」(安部公房)

その境界ははなはだ曖昧なものとなる

「人間そっくり」(安部公房)新潮文庫

ラジオ番組「こんにちは火星人」の
脚本家「ぼく」の家に、
火星人と名乗る男がやって来る。
男は火星の土地の斡旋や、
小説の執筆の勧誘を
次々にしていく。
変転する男の弁舌に振り回され、
「ぼく」は自分の存在に
自身が持てなくなる…。

「読んでいるうちに分からなくなる」。
安部公房作品特有のパターンです。

本作品の場合は、
この自称「火星人」なる男の正体が、
①「ただの精神錯乱者」なのか、
②「悪意を持った闖入者」なのか、
③「本物の火星人」なのか、
読み進めるほどに分からなくなります。

③というのは
いかにもナンセンスに見えます。
安部には「闖入者」という
恐ろしい傑作があることを考えると
②の線が濃厚に思えますが、
読み進めると①の可能性が
次第に膨らんでくるのです。

①を念頭にさらに読み進めると、
もっと分からなくなります。
本作品の登場人物は、
A「ぼく」、B「(ぼくの)妻」、
C「男」、D「男の妻」の
4人しか登場しませんが、
誰が「異常」で誰が「正常」なのかも
分からなくなるのです。

はじめは
「C:異常、ABD:正常」に見えたものが、
もしかしたら「D:異常」の可能性が
浮上するのです。
そうすると実は「C:正常」であり、
その結果「A:異常」にも
思えてくるのです。
語り手である「ぼく」自身すら
正常である可能性を否定できません。
自分自身の存在を
疑わざるを得ない描写は、
そのまま読み手の不安を
掻き立てます。
何とも背筋が寒くなる筋書きです。

ここでキーワードになっているのが
「そっくり」ということです。
もし火星人が存在していたとして、
それがウェルズの考案した
タコ型であれば
地球人との区別は明確につきます。
しかし火星人が
「人間そっくり」であったとしたなら、
何をもってそれを
火星人と識別しうるか?
その境界は
はなはだ曖昧なものとなるのです。

その結果、火星人などいるはずがないと、
「ぼく」も読み手もそう思いつつも
その前提がいつの間にか
崩れてしまっているのです。

さて、結末は読んでいただくものとして、
本作品は純然たるSF小説です。
それも極めて文学性の高い
SF作品なのです。
いや、SF的要素が強く前面に現れた
純文学作品というべきでしょうか。
どうやら本作品は
純文学とSF小説との区別すら
無意味にしてしまう存在のようです。

(2019.5.24)

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